『遠きの絆(ルーナ・ラー):中編』





 幻亭でのあの一件から一週間。
 その間、メンバー達はそれぞれに悪夢を見るようになった。
 毎日毎晩形は違えど、いつもそれは「たいせつなもの」を失った哀しみと苦しみを伴っていた。

「…夢見がわりぃ……」
 この日、幻亭に一番乗りしたのはカルマだった。いつものようにメロンソーダを頼んでいると、レイヤがやってきた。
「…暑いせいだな、きっと…」
 つぶやいたレイヤの顔色は悪い。確かに昼間のこの時刻、この季節はじりじりと太陽が照りつけるようではあるが…。
 かたん、と扉が開いてミーアとアノン、グロスがほぼ同時に入ってきた。三人とも顔色が優れず、明らかに痩せているのが分かる。
「…ただの夢です…ただの夢……」
 椅子に座る前に、ミーアがつぶやいて涙ぐむ。青冷めたままのアノンは椅子に手をかけていたが、彼女のほうを振り向く。
「もしかしてみんな同じような夢を見ているのか?」
 アノンの言葉に皆が反応を示す。
「…………どういうことだ」
「…同じような?」
「オレは兄貴が死ぬ夢を毎日…」
「……俺もだ。ミーアも…か?」
 アノンの視線に、ミーアは震えるように声を絞り出す。
「夢…だとしても…大切な人が死んだり消えたり…もういやです…こんなのが毎日続くなんて…もし一生続いたりしたら…」
「生憎と私は安眠できてますけどねぇ」
 入ってきたばかりのスティレット。ちょうど会話が聞こえたらしい。
「…お前はいいだろうが、このまま一生続くんだとしたら夢でも充分に体調に影響を及ぼす。どうにかしたいな」
「どうにかできんのか?」
 メロンソーダを飲みながら、カルマ。
「うちはどうにかした〜い!」
 喚くように入ってきたユーリの顔もミーアと似たようなものだ。
 目は真っ赤で泣き腫らしたあとが痛々しい。
「毎晩眠るたびにパパが死ぬ夢なんてやだ!」
「ふん…あいつの仕業じゃねーの?」
 黙っていたレイヤが唇を開く。
「そうだな。それしか考えられない」
 アノンは、ポケットに入れていた、あの時拾った人魚の鱗を取り出す。
「………邪悪な感じはしないが…ここまでやられると厳しい」
「行ってみます?」
 呑気に水を飲みながら、スティレット。
「何か言ってたでしょ、あの『人』。北の山奥に氷の鏡とかなんとか。それ取ってくれば悪夢から解放してくれるんじゃないですか?」
「………確かに辻褄は合うな…」
 グロスがつぶやく。
 あの時、全員の体が動かなくなって「青年の声」が言っていたこと。それを思い出せば、この異様なまでの現実的な悪夢もその内容の一致も説明がつく。
「うち行く! このままなんていや!」
「俺も行く。むかつくし」
「賛成、だけど北の山ってどこなんだよ?」
 ユーリとカルマ、レイヤは早速立ち上がる。
「…鱗の裏…」
 何とかなるかもしれないと思ったらしいミーアは、まだ青冷めながらもアノンに歩みより、持っているものを覗きこむ。
「何か描かれてます…」
「…かなり小さいが…細かい地図のようだな」
 アノンが目を凝らし、スティレットが立ち上がる。
「じゃ〜行きますか! このままだと皆さんの衰弱が激しそうですし、これ以上長引くと体力的にも影響があるでしょうしそうなってから出かけるにも体力的に限界があるでしょうしねぇ」
「お前もたまにはまともに話せる時があるんだな」
 皮肉るようにレイヤ。しかし少し希望を持てたらしく、かすかに唇の端が上がっている。
「だけどシャーがいないぜ? 誰か呼んでくるのか?」
 カルマが言うと、ギルドの人間にこの地図の場所に来るように言えばいいだろうとアノンが判断を下す。
 その間、ミーアはマスターから紙とペンを借り、鱗の裏から地図を描き取っている。
「ゼロもいない〜」
 ユーリが言うと、「もう一枚地図を用意しておきます」とミーア。しかし果たしてゼロが地図を「地図として認識」出来るかは誰にも分からなかった。
「まぁ彼女のことはシャーが何とかして連れてきてくれるんじゃないんですか〜? 保護者のようですしねぇ」
「スティレット〜、そんな簡単に…」
「後から来るだろ多分。いいから早く行こうぜ」
 レイヤがとっとと幻亭を出る。「仕方ないな…地図も持たないで…おい、行くぞみんな」とアノンが追いかけ、全員が旅立った。
『青年の声』が言っていた、地図の場所へと。


 シャーは悪夢の中から、何かの叫び声で目を覚ました。これも悪夢なのかとまだぼんやりとしながら目を開けると、赤いものが視界に入る。
 途端に飛び起きた。
「ゼロ?」
 床に落ちていたのは血。隣のベッド、その布団から点々と扉へ続く血の跡。
 一枚の地図が、ぽつんと落ちている。
「………ミーアの走り書きと…地図」
 そこにはミーアの筆跡とサイン、内容は幻亭での皆の会話の概要とそれに基づいた結果、北の山へ向かうこと等が簡潔にまとめられ記されている。地図を二枚ギルドの者に持たせ使いに出すと書かれていた。
 だが、シャーにはギルドの者が来たという記憶などない。
 急いで扉を開けると、ギルドの者が腰を抜かしていた。
「な、何なんです、あの子…」
「? 何があった?」
「鍵を開けてくれたのはいいんですが左腕が血まみれで…地図を一枚奪うようにして走っていきましたよ」
 すると、シャーが聞いたあの叫び声は「悪夢から目覚めた」ゼロのものなのだろうか。そしてゼロは扉を開け、地図を持って……。
 シャーもまた走り出す。
 急いでゼロと皆のあとを追う。


 シャーとゼロを除いた一同は、何日かかけて北の山へ辿り着いた。
 地図の場所は人が交通するところではなかったため、移動手段には大変な労力を費やすことになった。
「ああ〜、ここに来るだけで疲れたよ〜」
 北の山はこの季節を感じさせるほど寒く、吐く息すら白いほどだ。
 やっとそれらしき洞穴を見つけ、皆で入ると凍えるほどに寒く、ユーリはへたり込んだ。
「でも良かったですねぇ無事に見つかって」
 のんびりと、スティレット。ふんふんと何か鼻歌を歌い、何かしようとしていたらしい彼を目敏く見つけたアノンが注意する。
「スティレット。こんなところで氷の精霊なんか召還させたらただじゃおかねぇぞ」
「い、いやですねぇ、私はただ保存食でも取ろうと…」
「ミーアとアノンの言う通り、途中で保存食買っといて良かったな」
 レイヤが言う。元々持っていた者は不自由なかったが、他のメンバーの中に持っていない者もいたため、ここに来るまでにも補充していたのだ。
「とっとと行こうぜ」
 カルマが真っ先に歩き出す。洞穴の中は始めは普通の土だったが、進むにつれぴかぴかと反射し始めた。やがて洞道の全てが氷に包まれる。
「氷か………」
 声と共に、ふと新たにメンバーが加わる。
「シャー、やっと来たのか」
 遅いぞというような視線をレイヤに向けられたシャーだが気にしていないらしい。メンバーの中にゼロがいないのを知り、「すまんが先に行く」と言い置いてまた去っていってしまう。
「なんなんだぁ?」
「も〜、ゼロは一緒じゃないの!?」
 カルマとユーリがブーイングするが、精神的な疲れからも来ているのだろう。これ以上パーティ内の雰囲気が険悪になることを恐れたアノンは「とにかく俺達も急ごうぜ」と内心の自分の疲労を隠し、皆をわざと急かす。
「それにしてもこの洞窟…何なんでしょう……いきなり氷になるなんて……」
 ミーアの疑問も尤もだ。北とはいえ山の外見はさほど他の山と変わった感じはしないのに、中に氷の洞窟とは物理的に考え難い。
「アノン、何か感じないのか? クレリックだろ」
「スティレットも一応マジックユーザーなんだろ? 確かめてみてくれよ。先行き不安だぜ」
 カルマとレイヤに言われ、アノンとスティレットはそれぞれに魔力を使って確かめてみる。
『キュルル〜キュルキュル〜』
 ……何故か氷の精霊が飛びまくった。スティレットの呪文が間違ったらしい。
 氷の洞窟に更に一瞬吹雪が襲う。
「うう、寒い〜!」
「ったく…!」
「何やってんだよ!」
「…………寒いな」
「あれ〜、今日は『目』が良くないようですねぇ」
 さすがのスティレットもそこまでやる気はなかったらしい。アノンが判断を下した。
「………この山は何かの意思によってある程度の魔力と攻撃ができないよう護られているらしいな…。今のもスティレットのせいじゃない」
「そうですね…何か妨害するような意思を感じます。邪悪なものとは取れませんが」
 ミーアも同意する。
 訳もわからぬうちに進んでいくと、突然視界が開けた。
 行き止まり、小さな氷の広場のような感じだ。
 中央に、大きな宝箱が置いてある。
「ラッキー。もらってこうぜ」
「やった〜、中身何かな?」
「やっぱこれくらいの利点はないとな、洞窟っていったら」
 カルマとユーリ、レイヤは嬉々として早速手を出そうとする。
(この宝箱……誰が置いていったんでしょう……)
 ミーアは色々と想像にふけっているようだ。
(罠…か………?)
 グロスは鋭く切れ上がった瞳で観察する。
「怪しいな。迂闊に手を出さないほうがいい」
 アノンが言ったが、既に三人は宝箱を開けかけていた。
「まあまあアノンさん、この中にもしかしたら氷の鏡とやらが入っているかもしれないじゃないですか」
 スティレットが言った途端、宝箱が突然爆発した。
 近くにいた三人が悲鳴を上げ、辺りにもくもくとアメジスト色の煙が立ち込め始める。
「みんな離れるな!」
 アノンが叫んだが、誰の返答も既に聞こえない。

(何だ!? 俺一人か!?)
 アメジスト色の視界の中で、カルマは辺りを見渡し、一点に不審な黒いものを見つける。身構え、戦闘態勢を取る。
「誰だ……あの本の奴か!?」
<………カルマ………>
 その声に、カルマの体が硬直する。…そんなはずはない。そんなはずはないのに。
「その…声……まさか…」
<……カルマ……>
 嘘だ。そんなはずはない。あの人が「生きて」いるはずなど。
 カルマの体から力が抜ける。カタリ、刀が床に落ちる……。

(パパ……!)
 同じアメジストの中に、ユーリは父親の姿を見た。抱きつきに行こうとしても、どんどん遠ざかっていく。
「やだぁ〜! パパ〜!!」
 …遠のいていく。

「こ、こんなところに…どうして……? ジンニーさん……」
 ミーアもまたそこに別のものを見る。「ここ」にいるはずのない、自分達についてきているはずのないジンニーの姿を見ている。
(夢……?)
 夢にしてはリアル過ぎる。ミーアの顔がどんどん青冷めていく。

「兄貴…! 何だよ追っかけてきたのか!?」
 煙の中に見た顔に、レイヤはホッと息をつく。怪しいという感情はなかった。その姿は確かにレイヤの大切なもの、そのものだったからだ。
 レイヤは無防備に、歩み寄っていく……。

「あ…な、なんだ……!?」
 アノンは突然現れた「大切な人」をそこに見て、一瞬たじろぐ。
(違う、罠だ)
 アノンには分かっていた。汗をびっしょりかきながらも、必死に呪文を唱え始める。
「くっ…失せろ!!」
 アノンの攻撃が「大切な人」を象った何者かに向けて発せられる……。

「…………お約束だな…」
 グロスの前にも、他のメンバーと同じ「たいせつなもの」。しかし冷静なグロスには通じない。
「貴様が『諸悪の根源』か!」
 グロスの武器が勢い良く振り下ろされる。

(イ や …………)
 ゼロは恐怖する。左手に自ら傷つけた傷からは血が止まっていないが、それにも気付かぬほど。
 悪夢から逃げたくて、どうしても逃げたくて、いつのまにか地図を持ってここに来ていた。相変わらず透けるほど薄いワンピース一枚だが、寒さなど感じない。
 ゼロは「そこ」にいる者の姿を見て戦く。
<ゼロ…………>
(い ヤ ………)
 コトリ、
 煙で見えはしないが何かの破片が当たる。思わず掴んでいた。
<ゼロ…………>
 これが「ゼロの大切なもの」。真実なのだ。
「いやあああああああ!!!」
 ゼロは破片を振り下ろす。自らの身体に向けて。

「………あまりいい趣味とは言えないな…」
 シャーは「自分」の姿を真正面にとらえ、物静かな口調で言う。
 ゼロを追って皆を追い越し、少しして突然煙に襲われた。
 そして現れたのは「自分自身の姿」。
 吐き気すら覚え、シャーは武器に手を伸ばす………。


 突如。


 アメジスト色の煙が霧散し、全員が同じ場所に立っていた。
 先刻の場所ではない、もっと広く天井の高い氷の中に。
 光の届かぬそこは、時折何かに反応するように氷が黒光りすることで、メンバー達は互いの姿を認識することが出来た。
「…あ、……」
 カルマが我に帰る。そこにいたはずの「人」は既に消え失せている。かわりに見えたのは、同じく呆然としたように佇むミーアとレイヤ、ユーリの姿。スティレットだけはあまり表情を変えず、何か手に持っている。
 そして呆然としたまま、彼らは見た。
 アノンとグロスが互いに撃ち合いかかっているのと、そして、
 寸でのところで脇腹から血を流してうずくまっているゼロを攻撃対象にしようとしていたシャーの姿を。






《後編に続く》