東のほうへ歩いていく途中、街中のひとつの飲み屋から騒ぎ声が聞こえてきた。
多分、酔っ払い達が喧嘩しているのだろう。
「………」

喧騒が懐かしい。

『おい坊主、辛気くせぇ奴だな、こっち来て飲めや!』
あれはまだ頭目に拾われて間もない頃だ。ギルはまだ「本当の」名前もわからず、盗賊団にも打ち解けずにいつも焚火を囲んだ皆から離れたところに座っていた。
『ほっとけよ、あいつは絶対口きかねぇんだ』
『頭目もほっときゃいいのによ、あんな目の見えないガキに何の利用価値もないぜ。見たか? あの坊主のペンダント。銀色だったぜきっと値打ちもんだ』
『頭目も姐さんとどっか行っちまったし、今のうちにヤッちまうか…?』
くすくすと下品な笑い声に、ギルは身じろぎもしない。
近づいてくる男達数人を、じろりと睨め上げた。
『いっちょまえに睨んでやがるぜ。俺達が見えてでもいるのか?』
『ただのカンだろ。いいから奪っちまえよ……』
『そのペンダントよこしな。じゃねぇと命までなくなるぜ?』
きっ、と睨みながら立ち上がるギルに、盗賊達はにやにや笑っているだけだ。所詮は五歳の子供。何をしても無駄だということはギルにも分かっていた。

(あの時は、頭目が助けてくれたんだったな)
ぼんやりと微笑する。

頭目は強かった。もう結構な歳はいっていたが、盗賊団の誰よりも。
ギルの胸倉を掴み上げようとした彼らをあっという間に半殺しにしたのも、いつのまにか来ていた頭目だった。
『他の盗賊団ではどうか知らないが、ここでのルール違反は追放だ。意識が戻ったらそいつらに伝えときな』
瞬く間に三人を倒してから、ペッと唾を吐いて頭目は他の盗賊達に言い、それから呆然としているギルを見下ろした。
『ここに連れてくるまでも思ってたが……おめぇ、目じゃなくて何か「ほかのもの」で見えてるみてぇだな……』
ギルは答えなかった。頭目の強さと威厳に圧倒されて。
その間にパッと取られたペンダントにはっと我に帰る。
『返せ……!』
『取りゃしねぇよ。見せてもらってるだけだ。記憶のねぇおめぇの「手がかり」は見たこともねぇこいつだけだからな……ん?』
暴れるギルを片手で難なく押さえ込みながら、頭目は十字架の形をした銀のペンダントを裏返し、眉をひそめる。
『ギルディアス=バツ………? こいつはおめぇの名前か?』
ギルは答えなかった。反抗してではなく、単に分からなかったのだ。
確かに「森で一人で迷っていた」間にか、その前からなのか、ギルは自分の名前すら覚えていなかった。そして読み書きも満足にいかない「推定五歳」のギルにそんな文字が読める筈もない。
『おい、この意味分かるやつぁいるか?』
ペンダントを持ちながら、頭目は仲間に向かって尋ねる。
誰も分かる者がいないと知ると、頭目はペンダントを元通りギルの首にかけてやり、自分の息子を呼んだ。
背の高い銀髪の、盗賊におよそ似合わぬ優しい海の色をした瞳の少年だった。歳はギルより五歳ほど年上の、彼はコカといった。
そしてギルは「ギルディアス=バツ」という名前をもらい、コカと共に盗賊のことを教わるようになった。

盗賊団での生活は、どんどん楽しいものになっていった。
元々の素質もあったのかもしれない。だがいつも互いに良きライバルと思って訓練していたコカのおかげもあったのかもしれない。
五年も経つと、ギルは最初の頃と正反対の、やたらと明るい盗賊団のムードメーカーにさえなっていた。

『お前、頭目にならねぇか』
ある日、頭目はギルだけを自分の部屋に呼びつけてそう言った。ちょっと前から咳をするようになっていた頭目は、この時もひどく咳き込んでいた。
『どうしてだよ、コカがいるじゃねぇか』
驚いたギルがそう言うと、頭目はにやっと笑った。
『あいつよりおめぇのほうが素質あんだよ。自分でわかんねぇか? いいから黙って継げ。俺には時間がねぇ』
『………え…?』
時間が……?
『頭目………?』
『みんなには内緒だぜ。俺はよ、病気になっちまってるんだ。何の病気かも分からねぇ。この前「仕事」に行った村で拾ってきちまったのかもしれねぇ』
『そんな………!』
『うるせぇ、おめぇは黙って継げばいいんだよ!』
問答無用でギルは黙らせられる。
『おめぇは誕生日がなかったな……。継承式やったあと、腕試しに一人で旅に行きな。何か珍しいもんでも持ってくりゃ、納得いってねぇ奴らでも何にも言えなくなるだろうぜ』
まぁ今のところ誰もそんな奴はいねぇけどな、と頭目は咳こみながら笑う。
『帰ってきたら、その日がおめぇの誕生日だ。俺がいなくなってもちゃんとここを引き継いでってくれや。マナと一緒にな』
台詞の後半に、ギルは再び目を見開く。
マナは頭目の娘で、コカの妹。ギルよりひとつ年上の、おっとりした、どこかとてもコカに良く似た美しく優しい娘だった。
『ま、待てよ頭目、俺まだそんな歳じゃ…、第一マナの気持ちだって、』
『あいつはおめぇに気があるぜ。よく泉に誘われるだろ。あそこはマナのお気に入りの場所で他の誰とも一緒には行かねぇんだぜ』
見透かしたような、頭目の笑み。ギルは赤くなってうつむいた。
『十三くらいだな…おめぇの歳は、拾ってきた時から考えると……』
そして頭目はニヤリと笑う。
『「こういう」とこでは十三で一緒になんのも普通だぜ』
………そして、翌日にギルは継承式を行い、盗賊団の頭目を引継ぎ、旅に出た。

……。
ふと、眩暈を覚えてギルはサングラスを押し上げる。
「いけねぇや……。やっぱりあの時のことを思い出すと頭がおかしくなりやがる………」
自嘲したような笑みを浮かべ、適当な路地裏に入り、背をもたれかけさせる。
「そういえば、昨日まで世話になったアギとかいう奴…。どこかコカに似てたな……」
ふぅっとため息をつく。
過去が抜けない。この身体から、頭から、時に「見えるはずもない」ものも見えてしまうこの瞳の内からも。
あの時からだ。
あの、フィン達と一緒に行った「髪切り魔」の時。
「盗賊」の名が出るだけで過去を思い出し、未だにギルは条件反射に身の震えを覚える。

どうせ持ってくるなら頭目の「病気」を治すものを、とギルは考えていた。
(何の病気か分からないんなら、万能薬でも盗んでくればいい)
頭目を「父」とも思っていたギルは、勇んでいた。あちこちの村を探り、ついに「万能薬を作る薬師」の家に入り込み、盗むことに成功した。
旅に出てからたった一週間で彼はそれをやり遂げた。
快挙だった。
これで頭目の病気も治せる…!
喜び勇むギルの足は、しかし仲間が待っていてくれるはずの場所に来て呆然と竦んだ。
………ひどい有様だった。
仲間の死体があちこちに散乱し、明らかにそれはモンスターの仕業だと分かる形跡が残されている。
半ば放心しながら、ギルは倒れている仲間一人一人に大声で呼びかけ、ふと顔を上げてわずかな動きを感知した。
距離はそう離れていない。
この気配は、
「コカ………!」
万能薬の入った袋を取り落とし、仲間の死体に足を取られ転びかけながら、わずかに残っているコカの気配に向けて走る。
「コカ…コカ………!!」
コカは一人離れた場所で、剣を片手に樫の木に上半身を預け、両足を投げ出す格好で座り込んでいた。
海の色をした瞳からは今にも生気が飛び立ちそうだったが、ギルが近寄ってくるとうっすらと微笑んでみせた。
「ギ、ル………。やられちまったよ…みんな、……何故だろうな、…おまえが、いる間は…一度も、モンスターなんか…来なかったのに、な………」
「喋るな、今治療を…… 万能薬を持ってきたんだ、あれを!」
「………もう、効かないさ………」
コカは残っていた力を振り絞り、持っていた剣をギルに手渡す。頭目の部屋にかけられていた、伝統を感じさせるあの剣だ、とギルは思い出す。
「これを……親父に頼まれて……。ずっと持ってた……、お前に、渡せってさ……。この剣は、盗賊向きじゃないが………昔の頭目が、元剣士だった、それが大事に、受け継がれて………これが、『ここ』での最後の継承……」
「コカ……!」
「マナは怪物に食われちまった……………親父も死んだ…お前が旅に出た、すぐあとに……、だから俺が、頼まれて……、」
コカは咳き込む。
「…、だけど、……ここもおしまいだ……。ごめんな…お前だけ、残っちまった…、お前だけ…生き残らせて……」
優しいコカ。海の瞳に自分でなく、ギルを哀れ謝罪するような涙があふれる。
まぶたを閉じた、その瞬間にぽたりと一滴落ちた、それがコカの最期。
「………んな…そ、んな………」
ギルの瞳にも涙があふれる。
ここにきてから、森で迷っていたあのときにも、一度も泣いたことがなかったのに。
(………こんなことが)
「許されていいのかよ………」
マナも頭目もコカも。
(いなくなった)
「殺されていいのかよ……! こんなこと許されんのかよ!!」
どうして自分もこの場にいなかったのだ。
どうして自分だけが取り残されるのだ。
『盲目でも、あなたの瞳はとても綺麗……。銀灰色の、綺麗な瞳……』
時に無邪気に、時に母親のようにギルを叱った、娘。
ギルが馬鹿なことを言った時、頬を殴ってまで叱ってくれた娘。
旅立つ前の晩、薄い光が射すあたたかな夜明けの布団の中でささやいたマナの声が蘇る。
『大好きよ…どんなあなたでも。愛してる………』
(どうして)
「俺が生き残るんだ………俺だけが…」
あたたかな唇。あたたかな肌。まだ覚えているのに。
ギルは号泣する。
まだ若い、それが残酷にもギルの「十三の誕生日」………。


「………!」
過去に魂を抜かれていたギルは、突然の鋭い殺気にその場を避けようとした。
だが遅い。
「……がはっ…、!!」
サングラスが落ち、ギルの身体も崩れ落ちる。
胸間を、鋭利な刃物で刺された。小さな剣。まだ刺さっている。
ギルはわざと抜かなかった。抜いたら血が止まらなくなって助からなくなるだろう。
(誰だ……!)
倒れたまま、じっと気配を探る。否、
探るまでもない。
「……!」
ギルのすぐ傍に、全身を黒で纏った何者かが降り立つ。
顔すら覆面で隠していて、ギルの「心瞳」にも素顔は見えない。だが、
(この気配……誰かに似ている……、)
思った時、容赦なく刃が振り下ろされた。
ギルの、心臓に向けて。

………。

痛みは感じない。
ただ、暗転する、
     視界………。






The End.........